※画像は特に関係ありません
今回はなんとなーく思う事があるので記事にしとこうかなと思います。
インターネット、特にSNSを見ていると格言……と言わないにしても、ありがたい言葉なんかをたびたびに目にする事があります。(面倒なので以下格言としときます)これに影響を受ける方が結構います。それ自体は悪くないと思うのですが、ここで大事になってくるのは言葉の意味と価値です。タイトル回収。
例えば、『あなたに対して怒ってる人に付き合う必要はありません。あなたの為に怒っているのではなく、相手は相手の為に怒っているからです』と言う感じの言葉。頻繁に目にすると思います。もちろん、そういう事も充分にありえると思いますが、だからと言って『すべからく全てがそうである』と考えてしまうのは危険です。
何の理由もなく怒る方もいらっしゃるとは思いますが、はっきり言ってしまえば人が怒っている以上は何かしらの理由がある訳です。何故断言できるのかと言うと、線引きに差はあれど、僕みたいな底辺の人間でも常日頃から理由もなく怒る事がないからです。どうです、妙に説得力があるでしょう?
なので、まずは怒られた時に自分の身の振り方を考えるのが大事です。自分が悪いと思ったなら素直に謝る。当然ですね。主観的な判断ではなく、客観的に見て自分が悪くないと思っても謝る。……ん?! おかしくね?!
何故かと言うと、こういった負の感情を持った人間を放置すると言うのは危険な事に繋がりかねないからです。大多数は問題ないとは思いますが、物事には例外と言う物が付き物です。
ちょっと極端な例えにはなっちゃうんですが、仮に僕が友人からハブられてそれで僕が怒っても相手がまともに取り合わなかったとしましょう。僕含め殆どの方が「こいつとは合わないんだな」となるんですが、そうでない場合もありえます。オブラートに包まずに言えば、負の感情を暴走させて相手を殺してしまうかも知れない可能性が出てくると言う事です。負の感情が持つ爆発力の危険性は皆さんも何となく想像できるんじゃないかな。感情の起源が『相手が悪い』と言う事がベースなので積み重なったり長期化すると一線を容易を超えてしまうほど恐ろしい物です。ここら辺は、近年のニュースなんかを見て貰うとおのずと分かってくるはず。
なので、僕は自分に対して怒ってる人が居たらまず謝る事をオススメします。余程面倒な方でも無ければ大体の方はそれで気持ちが落ち着くはずです。
『効率的な面で考えると、自分に対して怒ってくる人間に対して取り合う必要性が無い、基本的に不毛で効率が悪いので関わらないと言う選択肢が正解』と言う意見もあります。0か100しかない現代らしい考えですね。悪いと僕には言う権利がありませんが、これこそ効率的ではないなと僕は考えます。いや、何なら自分の事しか頭にない自己中な人なんだなと。
そもそも僕としては人と関わる中で、ビジネスでもないのに効率って考えや言葉が出てくるのが驚きです。コンピュータかねお前は。では僕にとって何が最善策なのかと言うとやっぱり素直に謝る事です。
「怒らせるつもりはなかったんだよ、ごめんね。次から怒らせないように努力するわ」
こう言うだけで基本的には丸く収まるんですよ。楽じゃないですか? 相手も怒り続けて無駄にエネルギーを消費する事もない。さっき書いてたように負の感情から来るリスクに晒され続ける事もない。これこそ効率的で無駄がないです。一言謝ればいいだけなんだからこんな楽な事はないです。効率で考えているのではなく、自分にとって都合の良くない人間に謝りたくないってだけですよそれ。と言う事です。
先ほどまで書いてたのは『自分に対して怒っている人』についてですが、SNSに限らずとも、生活で見受けられる格言は分かりやすく為になりますが、そのまま真に受けてしまうと上記のような危険性も充分ありえます、と僕は言いたい訳です。端的に纏められていて分かりやすいが故に勘違いされますが、このような言葉が持つ意味は決して軽くない。故に、言葉の意味と価値が理解できなければあなたにとって何のプラスもありません。どこかの記事でも書きましたが情報と同じです。受け取り手が正しく意味を理解出来なければ何の価値もない訳です。馬の耳に念仏的な。
とは言え、『他者の言葉を受け入れ、自分の考えに取り入れる、考えをアップデートして行く』と言う行為自体は非常に良い姿勢です。少なくとも頑固である事よりは余程いい。
が、なんでもかんでもそのまま受け入れてしまうのではなく、『書かれている事を寄り深く考える』と言う事をするだけで、もっと良い方向へアップデートできるはずです。そのまま受け取ると10の価値しかないけど、もっと深堀すると50ぐらいの価値になったりするのって結構あります。ちょっと見方や角度を変えるだけで意外と変わる物です。0or100思考って楽なのですが、物事を考える上では極端過ぎてちょっと勿体ないって思えて来ませんか?
まぁここら辺は僕個人の考え方でしかないのですが、兎に角『そのまま受け入れて真に受けすぎると損をするかもよ』と言う事だけは僕は声を大にして言いたい。そうしてしまうと、何か失敗した時にその言葉の責任にしてしまい、自身の成長のチャンスの妨げになりかねないからです。恐らく、これが一番の損失でしょう。
長々と小難しく面白くないもないおじさんの戯言だったので可愛いウマ娘のスクリーンショットを貼ってごまかしてきましたが、効果はあったでしょうか。可愛いですよね、ルドルフとマチタン。
人と関わる上で0or100の考えになってしまうのは基本的に性根が悪いと言うよりは余裕がないからだと思うんですよね。だから面倒になった時点で切り捨ててしまう考えにシフトする。たびたび書いてたように、基本的にそれが原因で死んでしまうとかはまずないので余計に。
正論とは文字通り正しいのですが、常に正解と言う訳ではありません。一件不合理で理屈的ではありませんが、感情を持つ人間が互いに関わり生きていく以上どうしても正解となる答えは正論とは限りません。