ユイノートver.02

いろいろ気ままに書いています。

これは本当に悪い事なのだろうか

https://www.pakutaso.com/)

 今回はちょっとセンシティブな内容となります。

 いわゆる『自殺』と言う物についての僕個人の考え方のお話です。

※大事な事なので改めて書きますが、あくまで僕の考え方であり『どんどん自殺しよう』と言いたい訳ではありません。また、それを幇助するつもりもありません。

 

 さて、希死念慮と言う言葉は皆さんご存じでしょうか。いわゆる自殺願望のような物ですね。これをどれだけの人が持った事があるのかと言う話。

→日本財団自殺意識調査2016

 ちょっと古いデータで恐縮なんですが、4人に1人と考えると結構な割合ですよね。

honkawa2.sakura.ne.jp

 これでも古いデータですが、ようするに日本って自殺する人の割合が多いよね、と言う事です。

 

 さて、記事タイトルの回収に向かうとしましょうか。結論から言うと、自殺ってそこまで悪い事なんだろうか? と言う話です。

 当然の事ですが、死なないに越した事はないです。考えるまでもありません。でも、殆どの人が親しい人に死にたいと言われると止めると思います。それも別に可笑しいとは思いません。僕はどうだろうか。僕はこう言うと思います。

「君の命だから自由にしたらいいと思う。でも、僕は君が死ぬと寂しいし悲しい」

 自殺を止めるべきなのかも知れません。けれど、僕はどうしても『ダメだよ』とは言えない。だって、僕もそこまで追い詰められた事があるから。そうなる事の辛さや苦しさは分かっているつもりだから。だから無責任に死なないでと言えない。『運良く』乗り越えれた人や、なんでもなく普通に生きてきた人はこういいます。

 

「生きていればいつか良い事あるよ」

 そんな保証あるんでしょうか? 死を考えるまでに追いつめられている人に、ありえるか分からない希望を抱かせる事が正しいのだろうか。かと言って現実をとことん突き付けてもより悪化するだろうし、僕には正解が分からない。

 本人が頑張る事が前提なのは分かります。ですが、このどうしようもないご時世の中で頑張った所で報われる保証もないのに、更に頑張れと鞭を打つ事が出来てしまうのも分からない。

 

 当然、自殺について軽く調べると否定的な意見が多い。いやまぁ、当然と言えば当然なのですけどね。ただ、否定的な意見が何の意味もないし、参考にもならない。言ってしまえば薄っぺらい。

 

 生きてりゃいい事あるよって言われても今この瞬間が苦しいのにそんな先の話されても困るんだが?! って話ですよ。

 こういう話良くあるじゃないですか。飢えで苦しんでいる人には食事を与えるのではなく、魚の釣り方や農作物の育て方を教える事で根本的に解決するって。言わんとする事は分かるんです。いや、今そもそも食えなくて苦しんでるんだからまず食事を与えてからだろうと言う話ですよね。そんなんじゃ食えるまでに死んじゃうよ。

 対処療法ってダメって言われがちなんですが、僕個人としてはコレだけでは問題だと思うんですが、それが必要な場面って必ずあるじゃないですか。僕が言いたいのはそれと一緒なんです。

 

 自殺を考えてる人に無責任に死んじゃダメだと言うんだったら、その人の問題を解決すべきだと思うんですよ。少なくとも、最低限、その人の苦しみをその場だけでも解消してあげるべきかな。え? 一般常識で考えれば自殺するべきじゃない? そんなの自殺したいと思ってる人間が一番分かってると思いますけど?

 

 別に、そうやって止める人の事を悪く言いたい訳ではないんです。ただ、そこまで追い詰められるって事はもうあとが無いとか、どうしようもないとか、そういう状況だと思うんですよね。そんな人に『今』ではなく『先』の話をするって、無責任である以上に残酷だと思うんですよ、僕は。

 

 僕は、率直な意見を言うと人生において『自殺』と言う選択肢はあってもいいと考えています。何故なら、その方が救いがあると言うか、無かった事に出来る選択肢はある訳ですから。肯定的であると言うよりは「そうせざるを得ないなら仕方ない」と言う感じでしょうか。

 僕もとことん追いつめられた結果、そこまで考えが至った事もあります。いつぞやの自分語りの記事に書いたか流石に記憶が曖昧ですが。結果、躁鬱が抜けはしないものの、一応生きています。

 

 じゃあ、偉そうに書いてるお前はそういった人間にどんな言葉を送るんだ? 正解なのかは分かりませんが、こう言うでしょう。

「人間死ねば終わりなんだから、死ぬ前になんかしてみたら? それやってから結論出してもいいんじゃない?」

 ただ、怖いのはそれすら出来ない人もいる。僕も一か月ほどマジで記憶が無い部分あるんですよね。寝食が限度みたいな状態。でも、食事をとると言う事は生きたいと言うはあるんだろうなって。

 

 幸いのところ、僕は近しい人が自殺を考えたとか、そのことで相談されたとかはありませんが、そんな人が現れたら僕は生きてればいい事あるよとか無責任で訳のわからん事言うよりは自分の素直な気持ちを伝えるんじゃないかな。

「本音を言えば、寂しいし悲しいから死んでほしくはない。でも、君の命と君の人生だから君が決めるべきだと思う。君が死ぬと言う選択肢を取ってしまっても、僕が君の事忘れないようにする事で、多少は救いになると嬉しい」

 人間は二度死ぬと言います。一度目は文字通り、肉体的な死を迎えた時。二度目は、その人を知る人が誰も居なくなった時。僕が覚えている限り、その近しい人は完全に死んだ事にはならない詭弁と言えばそうなのかも知れません。けれど、そう考えて思った方が居なくなってしまった側も、居なくなった事を受け入れる側も、救いがあるじゃないですか。

 

 僕みたいなどうしようもない人間が出来る事なんてたかが知れてるんです。だから死ぬなとは言えない。だって、その人を救う事が出来るなんて到底は思えないから。

 僕がひとまず立ち直れたのは見た夢もある訳ですが、それもう一つあって『とりあえず生きてみて、そのうえでまたどうしようも無くなって嫌になったら今度こそ死ねばいいんんじゃね?』と言う考え

 ……まあね、なんでもかんでも結果や結論を死に結び付けると色々よろしくはない気するんですが、少なくとも僕はそう考えて生きた方が楽なんじゃないかなって。そう考えて生きた方が(ある意味)前向きに生きれる気します。0-100が過ぎる気がしなくもないですが。

 

 結局、僕ごときでは自殺を考えている人にどんな言葉を贈るべきか分からない。けれども、無責任な事も言いたくない。難しい話ですね。

 難しい話だからこそ、僕はこういう時には理屈や合理的な言葉よりも自分の気持ちを素直に伝える事が一番いいのかなぁとは思っています。